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税理士になるまで ②会計科目合格後、消費税法に大苦戦

こんにちは。杉野真理税理士事務所の杉野です。
今回は、税理士試験の勉強を通して経験したことをお話ししたいと思います。

■ 新たな挑戦

私は地方国立大学卒業という経歴です。別に偏差値の高い大学を出ているわけではなく、大学受験では行きたい大学に行けなかった苦い経験があります。受験なんてもうこりごりだと思っていたはずなのに、社会人になってから再び受験勉強の世界に飛び込むことになりました。

税理士試験を見据えて、29歳の時にまずは簿記3級から勉強を始めました。

その時に借方・貸方という単語を初めて知りました。貸倒引当金(かしだおれひきあてきん)は読み方がわかりませんでした。それでも簿記はパズルを解くような感覚で、勉強は比較的楽しめたと思いました。

簿記2級までの勉強はスーパーマーケットで仕事をしながら独学で合格しました。簿記2級までは順調に合格できたため、本格的に税理士試験に挑戦することを決め、30歳で退職し、青森の実家に戻りました。実家の近くに資格の学校がなかったため(当時、東北では仙台しかTACの校舎がありませんでした)TACのWeb通信で簿記論、財務諸表論の勉強をスタートしました。
また、たまたま実家の近くの大学院が税理士試験の税法免除をやっていると知りました。
税理士試験は通常5科目合格する必要があります。内訳は会計2科目、税法3科目です。大学院で税法の修士論文を書いた場合、税法2科目免除が受けられます。つまり、試験は会計2科目と税法1科目取ればよいことになります。
税法免除の大学院は都心部にしかないと思っていたので、半信半疑で大学院に問い合わせました。本当にやっていることを知りました。いつ入学すべきなんだろうかと考えました。試験制度が今後変わってしまうかもしれない、実家近くの大学院でこの先ずっと税法免除をやってもらえるとは限らないかもしれない、と考えました。
通常は科目合格を揃えた後に大学院に入学する方が大半だと思いますが、私はここで入学することを決めました。科目合格なしで大学院に入学するという異例のスタートだったと思います。

■ 消費税法との戦い

大学院の1年目に財務諸表論、2年目に簿記論に合格することができ、順調に思えました。しかし、ここからが本当の「税理士試験の洗礼」でした。次に選んだ消費税法は、私の前に立ちはだかる大きな壁となったのです。

正直なところ、消費税法を選んだのは、ボリュームがそれほど多くなく、当時関心があった分野だったからです。
しかし、模試では上位3%〜25%の成績を安定して取れるのに、なぜか本試験では合格できない。この現実に、何度も打ちのめされました。簿記論や財務諸表論は、不合格だった年は模試でも成績が振るわなかったので、「結果は順当」と受け止められました。しかし、消費税法だけは違いました。模試で好成績を出しても本試験で落ちるという経験は、大学受験なども含め、これまでの人生で一度もありませんでした。毎回「今回こそは」と臨むものの、合格発表のたびに打ちのめされる感覚は、まさに「絶望」でした。
落ちても落ちても受験し続けましたが、次第に惰性で受験しているのか、本当に税理士になりたくて受験しているのか、わからなくなってきました。辞めるという選択肢は自分の中ではとりあえずはなく、挑戦した以上は資格を取り切るところまでやり遂げないと意味がない、と思っておりました。しかし、中途半端に科目合格を取ってしまうと引くに引けなくなる、というのも思いました。

■ 妊娠・出産、そして受験の休止

消費税法5回目の受験を終えた直後、私にとって人生の大きな転機となる「妊娠」が判明しました。自己採点ではボーダー付近だったので、「なんとか今年で合格していてほしい…」という一縷の望みを抱いていた私を待っていたのは、59点での不合格。あと1点足りない、その1点が、当時の私にはあまりに重く、目の前が真っ暗になりました。「産後に受験持ち越しかぁ…」と、絶望的な気持ちになったのを覚えています。

春に出産を迎えましたが、その年はコロナが猛威を振るっており、夫以外の人に子守をお願いできない状況でした。税理士試験の試験日の時点で子供は生後4か月になりますが、生後4ヵ月の乳児を預かってくれる一時預かりの施設がない、夫が仕事の都合上、希望する日に有休を取るのが難しいという状況でした。そのような事情が重なり、その年は受験を見送るという苦渋の決断をしました。
子供が産まれると自分の行動に大きな制限がかかる、育児と勉強を両立させることは一筋縄ではいかないと自覚させられました。